思考の愚鈍化



 小学校中学校を卒業し、俺は働きながら定時制の高校に通うようになった。中卒では、これからの時代、やっていけないだろうから。ただ、とてもじゃないが普通の高校に行けるような経済状況にはなく、働きながら定時制高校に通うという選択肢しか俺にはなかった。

 定時制高校なんて、「高校」というイメージからはかけ離れていた。クラスの奴とつるむなんてこともない。ただ同じ空間にいるだけ。

 この頃には、母との関係も同じようなものになっていた。

 単なる同居者。世間から見れば、悲しいと思われるかもしれない。だがどうしろと。母の愛情を得ることを放棄した息子と、息子に愛情を与えることを放棄した母親が単なる同居者以上の、どんな関係を築けるというのだろう。

 この頃には大家さんは亡くなっており、新しい大家さん…というよりも管理者は、大手の賃貸会社になっていた。大家さんが住んでいた一階の部屋は、そのほかの部屋と同じように賃貸物件となっていた。俺の心の拠り所はどこにもなくなってしまっていた。

 母は、以前はいくらかは働いて稼いでいたようだが、この頃になるとずっと家にいて働こうという素振りさえ見せていなかった。ずっと家にいて何をするでもなく過ごしている。ただ、男を連れ込むことはなくなっていたのでその点だけは良かったが。

 母がこんな状態である以上、家計を支えるのは自然と俺の役割になる。だが、昼働いて夜高校に行くという生活を送っている以上、学費はかかるし稼ぎは少ない。所謂極貧に近いような生活をしていただろう。毎日の生活で手一杯で、そんな事を考える余裕もなくしていたが。

 そんな生活をしていたから気付かなかった。母の変化に……