愛情の渇望



 子どもが母親の愛情が欲しいと思うことは、当然のことだろう。俺もその当時、母親の愛情が欲しくてしょうがなかった。

 俺はいわゆる私生児だ。父親がどこの誰かは知らない。聞いても教えてもらえはしなかった。俺が父親の事を聞くたびに、母はどこか悲しそうにするから、いつからか聞くことは俺の中でタブーになっていた。

 母親と息子の二人暮らし。もちろん、裕福な暮らしなど望めるはずもない。想像にたがわず、親子二人で狭いおんぼろアパート住まい。それでも、アパートの大家さんは優しい人で、俺は特に不自由は感じずに済んでいた。



 そう、たとえ母親がたまにしか家に帰ってこなかったり、男を家に連れてきたりしていても・・・・・・。



「お母さんは、僕がお父さんに似ているから、たまにしか帰ってきてくれないの?」

 こんな馬鹿げた質問をした事もあった。母は、驚いたような、怒ったような、でも悲しそうな顔をし、俺をぶった。力は入れていなかったのだろう、さほど痛くはなかった。でも、当時小学4年生の俺にとっては、ぶたれたという事実がとても大きかったんだ。絶対的存在の母親にぶたれるという衝撃。涙も何も出なかった。ただ驚いた。

 そして、ただ悲しかった。



 母が帰ってこないときの食事などは、もちろん自分で作れるわけもないし、母が用意していってくれていたということもなかった。そんなときの食事は、専ら大家さんの世話になった。

 大家さんの家の扉を叩くと、大家さんが出てきて優しい笑顔を俺に向けてくれた。そして、何も言わずに家の中へと招いてくれる。俺の分の食事を用意して、おいしいかとか、学校はどうだったとか、そんな事を聞いてきた。でも、母がどうしているかとか、そういった込み入ったことには触れてはこなかった。俺から話すのを待っていたのかもしれないけど、俺はいつもそのことには触れなかった。誰かに話したら、自分のなかの何かが終ってしまうような、心の中の張り詰めた糸が切れてしまうような、そんな気がしていたんだ。そんな俺を、大家さんはただ微笑んで見守ってくれていた。正直、俺の心の支えだったんだ。

 でも、そんな大家さんを見るたびに思ってしまったんだ。

「どうしてお母さんは、僕に笑ってくれないんだろう」

 って。

 俺は子どもだったから、いや、子どもじゃなくてもあの環境だったら何歳だろうとそう思うだろうが、「僕はいらない子なんだ」って、本気で思っていたんだ。