永遠〜とわ〜 第八話
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暗く冷たい石の廊下をエリザベスは我武者羅に走っていた。
邪魔なドレスの裾を大きくかかえているために、エリザベスの白い足はおおいに露出している。 一国の王女がこんな姿でいるのを見たら、国王は卒倒し侍女たちは腰をぬかすだろう。しかし、今のエリザベスには身なりなど気にしている余裕は無かった。恥であることなど承知しているのだが、こうしないとはやく進めない。早く、今すぐにでも会いたい。それだけだった。 あまりにも急いで部屋を出てきたので、灯りさえも忘れてきてしまったが、今ならこの暗い廊下も怖くはない。それに目がだんだん闇に慣れてきた。この廊下を真っすぐ進むと右に曲がる所があり、そこを曲がれば魂三郎の部屋はもうすぐである。期待からエリザベスの足は更に加速する。曲がり角は目の前だ。 "曲がろう"そう思った途端目の前に人影が現れた。 加速したエリザベスの足は急には止まれない。案の定エリザベスはその人影にぶつかり、衝撃で後ろに体が傾く。思わず目をつぶった瞬間、予期したとおりにはならず、傾いた体を支えられた。 驚いた勢いでその人影の、胸にしがみつき、衣服を強く握りしめた。 ―――エリザベスにこんなことをするのは?――― 自分が思い当たるところ、こんなことをしてくれるのは一人しかいない、そう思ったエリザベスは嬉しさのあまりその人影に力いっぱい抱きついた・・・というよりはすがりついたという表現のほうが正しいだろう。 「魂、ずっと探したのよ!!あのね、私―・・・」 「エ、エリザベス姫・・・・・・?」 エリザベスの名を呼んだ声は、魂三郎のものではなかった。 体を硬直させている人影が灯りをエリザベスの顔の高さまで上げる。オレンジ色の灯りに照らし出されたのは、驚いた顔をした咲乱だった。 「・・・・・・・・・・・・咲乱・・・・・・」 エリザベスの顔に落胆の色が広がる。その様子を見て咲乱は苦笑いをした。こうまでがっかりされるとさすがに悲しくもなってくる。 「姫、魂はもうここにはいませんよ。私は魂の忘れ物を取りに来たんです」 「どうしたら、会える?・・・どうしても会いたいの。もう会いたいって言わないから、あと一回だけ会いたいの。ねぇ、咲乱、お願いだから会わせて。お願いだから!!」 泣きそうになるエリザベスの顔を見て咲乱は焦った。 はたから見たら俺が泣かせているように見えるじゃないか、そう思った。エリザベスの願いを叶えてやりたいとは思うのだが、魂のいる状況はエリザベスを連れて行けるような雰囲気ではない。 「姫、それは少し難しいかもしれません・・・・・・」 苦々しく、唸るように咲乱は言った。 「・・・・・・」 「・・・でも、もしかしたら・・・ひとつだけなら・・・ある・・・かも」 蚊の鳴くような声で、咲乱は自分に確かめるように言った。 「・・・・・・今、・・・なんて言ったの?」 咲乱の顔をエリザベスはまじまじと見つめる。咲乱は眉間にしわを寄せ難しい顔をしていた。 「あまり期待はしないで下さい」 ぼそっと言うと咲乱はエリザベスの手を取り、大またで歩きだした。エリザベスは小走りで続いたが、それでも咲乱の歩調のほうが早く、なかば引きずられるようにして廊下を歩いた。今魂三郎に会わせてくれるのは、他の誰でもない、咲乱だけのような気がして、エリザベスは強く願いながら足を進めた。 *** 連れて行かれたのは二階の誰も使っていない客室だった。咲乱は部屋の灯りをつけずテラスの入り口へと進んでいく。ガラスの扉を開ければ、ほてったエリザベスの体を夜風が心地よくなでてくれた。エリザベスは肩で息をしていたのを整え、ゆっくりとテラスの方へ進んだ。外を確認していた咲乱と入れ替わりになる。 入れ替わりざま、咲乱はエリザベスの肩に手をおいた。 「俺にできるのはここまでです」 エリザベスは鞭に打たれたようにテラスへ走り、体が落ちんばかりに手すりから身を乗り出した。中庭の噴水が見える。そこに一人、人がいた。 見慣れた漆黒の髪、こんな髪をしているのはこの城には一人だけしかいない―――。 「魂!!!」 こんな声が出せたのかと自分でも驚くほどの大きな声で、愛しい人の名を呼んだ。声と一緒に涙まで出てきて、止まりそうにもなかった。 ―――嬉しい・・・もう一度会えた・・・――― 嬉しさのあまり足がふらついたが、手すりをぎっちりと握ってやっとの事で立っていた。 「・・・エリザベス・・・様・・・!?」 つぶやくような魂三郎の驚きの声も、エリザベスにははっきりと聞こえた。 「・・・どうして・・・ここに・・・」 「あなたを探していたの!!どうしてもあなたに言っておかなくちゃならないことがあるの」 泣いているのがばれないように、嗚咽が出ないように、できるだけはっきりと言った。 「言っておかなきゃいけないこと・・・?」 「そう!私からの命令よ!!これが守れなかったら、あなたには刑罰を受けてもらうわ」 魂三郎は背筋を伸ばし姿勢を正して、驚いていた顔を引き締めた。 「何なりと、仰せ下さい」 「・・・いい心構えね」 エリザベスは満足そうに頷いて、やっとふらつかなくなった足でしっかりと立ちなおした。声高らかに、自分の護衛に命令を下す。 「波江魂三郎―――そなたにはこのエリザベスの名において、これからの戦で命をおとすことを禁じます。・・・いいこと!?絶っっ対私の前に帰ってきなさい!!!」 「・・・もし守れなかった場合は・・・」 「私も一緒にいくわ。あなた一人にはしておけないもの」 「・・・それは・・・一体・・・」 魂三郎は目を大きく見開いた。 「死罪より重いと思わない?」 「むちゃくちゃですよ・・・・・・」 「それだけ守られなければならない命令だからよ」 にっこりとエリザベスは笑った。その顔を見て、魂三郎は俯いた。 「・・・魂・・・?」 不安になって身を乗り出す。 「本・・・当に・・・むちゃくちゃですよ・・・」 もう一度顔を上げた魂三郎は、口元を引きつらせていた。声は震えていて、頬はピクピクしている。 「何で、そこで笑うのよ・・・」 「いや、別に・・・」 咳払いをして顔を直す。嬉しすぎて思わず顔が緩んだ。ゆっくりと膝を曲げ、頭を垂れた。 「仰せのままに」 満点の空の下、一国の王女と軍長の別れは笑顔だった。 無邪気な子供のように―――。 |