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「―――ナムルス・メストリアです。本日は両国の友好のための架け橋となるべく、父・メストリア帝国国王の命を受けて参りました。数日間滞在させていただくことになるかと思いますが、何卒宜しくお願いいたします」
仰々しく国王の前で向上を述べているのはメストリア帝国第三王子のナムルス・メストリアだった。だがそれと同時に、先日庭で会った男でもあった。王女として謁見の場に居合わせたミリアはただただ混乱していた。だから、国王が自分のことをナムルス王子に紹介していることにも気づかなかった。
「……様、ミリア様っ」
傍に控えていた者の焦ったような声でようやく我に返ったミリアの目に映ったのは、国王をはじめ皆の気遣わしげな視線と、その中にあって異質なナムルス王子の何かを含んだ微笑だった。
「申し訳ありません。今日という日が楽しみだったもので昨晩あまり眠れなかったものですから。ナムルス王子に申し訳ないですわね。どうか滞在期間中エクスノッセを満喫してください」
とっさについた嘘だったが、国王は一応納得したようだった。もちろんナムルス王子は、全てお見通しとでもいうような表情を浮かべていた。
謁見が終わり、謁見の間から出ると、ミリアはナムルス王子に呼び止められた。
「ミリア王女」
まさか個人的に呼び止められるとは思ってもいなかったミリアは驚き、そしてそれはナムルス王子にも伝わったようだった。
「申し訳ない。また驚かせてしまったようですね。先日は無断で王宮の奥まで入ってしまって申し訳ありませんでした。もちろん、庭を拝見していたというのは本当ですが、公式訪問前でしたので身分を明かすわけにはいかなかったものですから」
「そ、そうですか。でもなぜ、公式訪問前に王宮へ?」
「それは、秘密です。申し訳ない」
そう言ってナムルス王子は、ミリアとその背後に向かって軽く会釈をして立ち去ってしまった。ミリアが後ろを振り向くと、そこにはクラストとウェスターがいた。二人は謁見の間に入ることができないため、広間の外でミリアを待ち、出てきたところで近くに行こうとしたわけだが、つい先日見た顔が王子としてそこにいたのだから近付けなかったのだ。とはいってもそれはウェスターの理由であって、クラストは条件反射のように立ち止まってしまっただけだったが。
「ナムルス王子だったんですか、先日の男。でも一体なんだってあんなところに……」
「庭を見ていたのは本当だといっていたわ。でも、なぜいたのかは教えてもらえなかった」
ようやく二人はミリアの元へとやってきた。ウェスターの問いに、ミリアは先ほど話した内容から答えを教えてやる。ミリアもウェスターもまだ驚きの中にいるようだったが、クラストは驚きはせずただ苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
(庭を見ていただと?あの人がそんなことをするわけがない。本当に何をしていたんだ……?)
「クラスト?」
驚いているわけではなさそうなクラストの様子にミリアは疑問を持つ。クラストは、先日の男がナムルス王子だと知っていたのだろうか。ただの護衛なのに、国交のなかった国の王子を?
「すみません。驚きすぎて言葉もありませんでした」
そうごまかしたクラストの言葉を完全に信じたわけではないだろうが、ミリアは無理矢理自分を納得させたようだった。だがウェスターは、先日よりも強い疑念の目をクラストに向けていた。
ナムルス王子がエクスノッセ王国へ来てから二日が経った。条約締結の話などはまだ出ていないようで、王子は国王と会談を楽しんだり、大臣達との議論に興じたりしていたが、それにも飽きたのか、あろうことか衛兵の訓練にまで顔を出した。もちろんエクスノッセ王国の軍事力の視察という目的もあるのだろうが、頭だけでなく身体も動かすのがメストリア帝国の者なのだろう、剣の相手を欲しているようだった。だがもちろん、一回の衛兵が王子の剣の相手などできるわけがない。
衛兵たちが訓練をしている場所から少し離れたところで数人の衛兵が別の訓練をしていた。そしてそこには、クラストの姿もあった。以前怪我をしたときに訓練を見ていたことがきっかけで、時々訓練を見に来るようになり、いつの間にか腕が立つ者の訓練に付き合うようになっていた。より実践的な、使える剣を教えてほしいとのことだったが、生憎クラストも戦争の経験があるわけではなかったので、ナムルス王子からしてみれば、まだまだ型にはまった剣だった。一対一の戦闘には向いているかもしれないが、混戦状態になってしまっては紳士的な剣では身を守れない。
「王女様の護衛の方とお見受けするが」
急に声をかけられたクラストをはじめ、皆が一様に驚き、その声の主を認めて声を失った。はっきり言って、ここにいていい人ではない。声をかけられた本人であるクラストは無視するわけにもいかず、ナムルス王子に向き直る。
「これはナムルス殿下……殿下でよろしいのでしょうか」
ふと気になって聞いてみる。この前あったときにはナムルス王子と呼んでしまったが、みなの前でそれはまずいだろう。そんなクラストの様子にナムルス王子はふっと笑った。
「殿下でも何でも構わないよ。私としては、ナムルス王子が一番しっくりくるんだが」
「ではお言葉に甘えて…。ナムルス王子、なぜこのような所にいらっしゃるのでしょうか?」
王子の許しを得たところで“ナムルス王子”と呼ぶことにしたクラストは、誰もが思い浮かべる当然の疑問を口にした。
「実は私は毎日剣の稽古を欠かさず行っているのだが、訪問中はそれもできない…と、覚悟はしていたものの、兵士たちの訓練の声が聞こえたらいてもたってもいられなくなってしまってね。誰かに剣の相手をしてもらえないだろうかと思っていたのだが………」
このようなどこか人懐こい印象は昔から変わっていない。こうやって人と上手く付き合い、信頼関係を築き、そして最後にそれを粉々に砕くのがこの男だ。そして、クラストの思い描くことのできる一番嫌な選択肢を選ぶのもこの男だった。
「護衛殿、確かクラストだったかな。お相手願おうか。ずいぶん腕は立つようだが、いかんせん実践向きではない。先程から見ているに、こちらの面々は実践的な戦闘に備えての訓練をしているようだ。そこでだ。私が実践の剣を教えて差し上げよう。私は剣の相手を得、貴殿は実践の剣を教わる。そしてその剣をここにいる兵士たちにこれから教えていけばいい。どうだ、悪い話ではないだろう」
悪いも悪くないも最悪だ。ナムルス王子と剣を合わせることなど何としても回避したかったが、回避できないであろうことは明白であり、ここに王子が姿を見せた時点でこのような展開はある程度予測できていた。だが、一応抵抗は試みた。
「私は一兵士にすぎません。そんな私が王子と剣を交えるなど、できません」
「その王子である私が所望しているのだ。問題はないと思うが」
問題があるに決まっているが、王子が諦める様子はない。クラストが折れるほかなかった。
「……わかりました。ですが、一本勝負でお願いします。三本などはお断りいたします」
「いいだろう。では、一本勝負といこうか」
こうして、クラストとナムルス王子は剣を交えることとなってしまったのだった。
クラストとナムルス王子が剣を交えるという話は瞬く間に多くの兵士の耳に入り、二人の周りには人だかりができてしまった。
「では始めようか」
ナムルス王子のその一言で勝負は始まった。
剣と剣とがぶつかる音がそこら中に響き渡った。
メストリア帝国は軍事国家であり、王子といえども兵士たちの士気を高めるためにも剣の腕は鍛えていた。正直、ナムルス王子がそこまで腕が立つとは思っていなかった兵士はナムルス王子の剣筋に驚いた。そして剣を合わせているクラストも驚いていた。
(まさかここまでとは……)
クラストは日々剣の腕を磨いてきた。ミリア王女の護衛となってからは、以前のように訓練に励む時間は少なくなってはいたがそれでも毎日行っていた。怪我をして安静にしていなければならなかった期間があったとはいえ、自分の剣の腕は普通の兵士には決して劣らないと自負しているし、実際そうだった。しかし、王子相手に同等だとは思っていなかったというのが正直なところであった。
「……くっ…」
「…クラスト…。お前、なかなか…やるじゃないか」
剣を打ち合いながら、当人にだけ聞こえる程度の声の大きさでナムルス王子は声をかけた。
「私も…ここまでお強いとは……思いませんでしたっ」
数回剣を打ち合い、離れてはまた打ち合う。そして時には剣の鍔で押し合う。一瞬たりとも気の抜けない手合わせだった。
「これ…手合わせってレベルじゃないよな……」
そんな兵士の呟きが漏れるほどに。
そしてこの場に、クラストにとって来て欲しくなかった人物が騒ぎを聞きつけてやってきた。
「クラスト!」
「……何やってるんだ?」
ミリアとウェスターがやってきたことに気付き、クラストは苦笑をもらした。
「ここで素性が……ばれたりすると…非常にっ…まずいんです」
「そうだろうなっ…だが私は……そんなヘマはしないさっ」
そういうとナムルス王子は勢いよく踏み込んできた。クラストはすんでのところでそれをかわす。お互い、息が上がっていた。
「そろそろ…終わりにしませんか。もう…十分でしょう」
このままでは二人ともへばってしまうと思いクラストはナムルス王子に声をかけた。それに応えるようにナムルス王子が笑みを返す。ほっと息を吐き力を抜いたところに、ナムルス王子は剣を打ち込んできた。
「っな……」
「甘いな。私はやめるとは言っていない。手合わせだろうが、気を抜くと大変なことになるぞ」
不敵な笑みを浮かべながらそう言ったナムルス王子の剣を、クラストは剣で受け止めていた。そしてナムルス王子は不敵な笑みを人好きのする笑みへと変え、皆に聞こえるような声で手合わせの終わりを告げた。
「これまでにしよう。なかなかの腕ではないか。これなら実戦でも多少は使い物になるだろう。これからも精進するように」
「はい。……ありがとうございました」
これではまるで、教官に対する態度だと思いながらも、他にどう接すればいいかわからず、結果不自然と思えなくもないような受け答えしかできなかった。特に、経緯を知らないミリアとウェスターにとっては。もっとも、ウェスターが近くの兵士から事情を聞いているようだったから問題はなさそうだが。
(それよりも問題なのは……)
クラストはミリアとウェスターに向けていた視線を、ここから遠ざかっていくナムルス王子へと移した。
(……最後の剣は…少なからず俺を殺そうとしていた……)
ナムルス王子が何を思って、手合わせを申し出たのかもわからず、しかも殺気のこもった剣も向けられた。滞在中は十分注意せねばと自分に再度言い聞かせるクラストだった。
しかしながら、注意しなければならないのはナムルス王子だけではなかったのだ。普段なら気付いていただろうウェスターからの視線に、クラストはまたしても気付かなかった。
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