想いの果て−the end of hearts- 第三章 二つの思いが錯綜するとき

1


 事故から三ヶ月ほどが過ぎ、ミリアの護衛は再びクラストとなった。

「それで、ウェスター。どうしてまだあなたがいるの」

 クラストがミリアの護衛に復帰した後も、ウェスターはそれまでのようにミリアを護衛していた。

「それがですね。人事の者が、クラストから俺に護衛の任が完全に移行される、つまり代理じゃないと思っていたらしく、元の仕事に戻れないんです。で、クラストが就くはずだった仕事の空きは、国王様の命によって、既に埋まっている。となると、俺の行くところはどこにもないんです」

 事情を初めて聞いたミリアは驚いた。

「そんな!一体どうしてそんなことが」

「ミリア様が、ゴリ押しをしたからではないでしょうか」

 思い当たる節が十分すぎるほどあるミリアは、そんなクラストの言葉に対して言い返すことが出来なかった。

「…………。ク、クラスト!いい加減その減らず口を何とかしなさい!前とちっとも変わってないんだから」

 半ば八つ当たりのミリアの言葉に、ウェスターが茶々を入れる。

「失礼ですが、こいつは入隊したときからこんなもんでしたから……。今更どうしようもないと思いますよ」

「それも!二人が同期入隊だなんて、私ちっとも知らなかったわ」

 クラストとウェスターが、やけに親しそうにしているのをみて不思議に思ったミリアが、二人に聞いてみて初めて知ったことだ。二人の関係といい、突然いなくなってしまったアマンダのことといい、クラストについて知らないことばかりだった。ミリアは密かに(クラストに色々問い詰めてみないと)と思っていた。それがどういった感情からくるものなのかは、本人は自覚していないようであったが。

「そういえば、今度メストリア帝国の第三王子が訪問されるとか」

 ウェスターがふと思い出し口にしたその話題は、今や王宮中で人々の口に上がっていた。

 メストリア帝国といえば、国土のほとんどが砂漠に覆われており、それ故領土拡大を図って軍事力の強化を進めてきた国であり、最近その軍事力をもって隣国を攻め滅ぼしていた。エクスノッセ王国とメストリア帝国の間に位置していたミルバ国とカウタ国も、メストリア帝国に滅ぼされた国である。そして、メストリア帝国の次なる狙いはエクスノッセ王国であるとの噂が、まことしやかに囁かれている。そしてその噂が当たっているというのが、多くの者の見解だった。エクスノッセ王国の国土は肥沃で、更に都はエヘナ湾に面しており、開港に非常に便利である。メストリア帝国が欲するに足る条件を、エクスノッセ王国は兼ね備えているのだ。

 ではなぜ、今までその脅威にさらされることがなかったのかというと、それはかのミルバ国とカウタ国の存在があったからだ。今までメストリア帝国には、ミルバ国とカウタ国を一度に相手にする国力がなかった。同盟関係にある二国を滅ぼすには、一度に侵攻する必要があったのだが、そこまでの軍事力は、今までのメストリア帝国にはなかった。しかし、その二国はメストリア帝国によって滅ぼされてしまった。

「今、こんなにもメストリア帝国が強大になったのは、メストリア帝国第三王子の……えっと、名前は…」

「ナムルス王子だ」

「そうそう。そのナムルス王子の軍事政策のせいだとか。その王子が“なぜ”“今”“この時期に”公式訪問をするかですが…」

 今まで、隣国でもなかったメストリア帝国とエクスノッセ王国の間には親交はなかった。貿易なども二国間では公式なものは行われていない。公式訪問など、もちろんあるはずがなく、今回が初めてのことである。ましてや訪問するのは、今のメストリア帝国の要ともいえるナムルス第三王子である。エクスノッセの王宮の者達は毎日対応に追われていた。

「公式訪問の目的は、条約でも結ぶためでしょうね」

 何でもないかのように呟いたミリアの言葉にクラストとウェスターはとても驚いた。

「なんでそんなに驚くの?私だって一応王女なんですからね。政治学だって帝王学だって学んでるのよ」

 考えてみれば当たり前のことである。だが、ウェスターもクラストでさえそんな当たり前のことを忘れていた。それほど、ミリアは政治という善だけでは済まされない、むしろ悪の方が多いように思えるものから縁遠く思えた。しかしそれは、現実とは異なった印象でしかないのだ。

「ミルバ国とカウタ国を滅ぼしたことで、メストリア帝国とエクスノッセ王国は隣国になったわ。エクスノッセ王国はここ二百年ほど戦争とは縁がない国だから、軍事力でどうにかする事など容易いわ。とはいえ、二国と戦争をした後でもう一度戦争をするのはつらい。となれば、少しでも自国にとって有利な条約の一つでも結んでしまったほうが上策。そのためのナムルス第三王子の公式訪問でしょう。私達は、条約を結ぶときに、少しでも私達に有利な条件を得なければならないから、今対応に追われているんでしょう?」

 ミリアの考えは的を射ており、大臣達も考えているであろう見解だった。クラストとウェスターは、ミリアに対してもっていたイメージを変えざるを得なかった。

(私、見直されたかしら?)

 ミリアは、最後まで驚いた様子だった二人を部屋に残して庭へきていた。

 王女として、最低限の知識は持っているつもりだったし、それ以上の知識も得ようと努力を惜しまずやってきた。でも、自分が政治に聡い王女と思われていないことなどわかっていた。それでも、あそこまで驚かれると少し悔しくもある。少し位、知識をひけらかしたとしても、別に構わないだろう。

 歴史は繰り返すというが、それは実に的を射ていると思う。歴史書を多く読めば読むほどそう思うのだ。人間の本質的な部分は、どれほど時間を経てもそうは変わらないものなのだろう。

(軍国主義……でいいのよね、メストリア帝国は。それって、国民からしてみればどうなのかしら)

 エクスノッセ王国は、今まで軍国主義の国になったことなどない。ミリアは、それでいいと思うし、今のエクスノッセ王国でいいと思っている。もちろん、より良くしたいとは思っているけれど、政治の基本体勢は変えないでいいと思っている。国民が戦火におびえずに暮らせる国が一番だ。だが今、エクスノッセ王国はその戦火にさらされてしまうかどうかの瀬戸際だ。大臣達がぴりぴりしているのも当たり前なのだ。

 ミリアも、何かしたいと思うけれど、なんと言っても経験に乏しく知識もまだまだ足りない。知らないことが多すぎる。二十五年前の事件も、クラストについてもそうだ。

 二十五年前の事件は、ほとんどの者が知っている。だが、ミリアが知らなかったように、裏の事情を知っているものはあまりいなかった。クラストの年を考えて、後から事件について調べたとしか思えない。だが、それにしては知っている情報が詳しすぎる。ただの、一武官に過ぎないにもかかわらず。そんなクラストの様子が、先ほどは変だった。いつも以上に無口で、何か考え込んでいるようだった。そして、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。メストリア帝国の話が出てからではなく、ナムルス王子の話が出てからだ。だが、一介の武官と他国の王子との接点などあるわけがない。しかも、今まで交流のなかった国の王子などと万に一つも有り得ない話だ。

 クラストのことが、まだまだわからない。わかりかけていたように思ったクラストの姿が、ひどく曖昧で儚げに思える。クラストのことをもっと知りたい、理解したいと思った。



 ナムルス王子の公式訪問まであと三日と迫った日、クラストは庭の木の下に座って考え事をしていた。庭の隅にあるこの木へ来る者などめったにおらず、考え事をするにはもってこいの場所だった。ミリアの護衛は、自然とウェスターと交替で行うようになっていた。今はウェスターがミリアの護衛をしているため、することもなくこの場所へ来たのだった。だが、頭の中からはナムルス王子のことが消えず、結局考え込んでしまっている。

「ナムルス王子とも……会わなければならないだろうな」

「そうとも」

 誰へともなく呟いた言葉へ、返ってくるはずのない返事が、聞くはずのない声で返ってきた。

 驚いて立ち上がると、そこには一人の男が立っていた。その男こそナムルス王子だった。

「ナムルス王子!どうして…。訪問は三日後のはずでは?」

「いてもたってもいられなくて来てしまったよ。何年ぶりかな?十年以上経つか」

「……十三年です」

 そう答えてしまってから、ハッとしたように口をつぐんだ。そのクラストの様子にナムルス王子は笑みを浮かべた。

「忘れようとしていたのか?無理な話だ。忘れようとしたって、忘れられるものではないだろう。仮に、忘れられたとしても事実は変わらない。そうだろう?」

 クラストには、ナムルス王子の言葉への反論は持ち得なかった。全て正論であり、実際、十三年もの間、忘れられたことなどなかったのだから。

「クラスト」

 優しい笑みを浮かべてクラストのほうへ歩み寄ってきたナムルス王子だったが、遠くから聞こえてくる足音に気付いて身体を向けた。

「あっ、いたわ。クラスト!」

 そこにはミリアと、頭を抱えたウェスターがいた。

「捜したのよ、クラスト」

「俺一人じゃ、正直きついぜ、護衛の任は…」

「あら、失礼ねっ。…クラスト、こちらの方は?」

「すみません。お庭を拝見していたのですが、随分と奥まで来てしまったようですね。私は失礼します」

 そう言って、来たときと同じようにナムルス王子は去っていった。

「誰だったの?クラスト」

 ミリアの問いかけにもクラストは答えなかった。

「……クラスト?」

 いぶかしげなミリアの声に、やっとクラストは反応した。

「すみません。先ほどの方とは他愛もない話をしただけで、どなたかは存じません」

「そう。クラスト、ちょっといいかしら。あなたに用があって捜していたの」

 クラストのいつもと違った様子を気にかけながらも、ミリアはクラストを部屋のほうへと連れて行った。

 ミリアもクラストも気付かなかったのだ。ウェスターが、先ほどの男が立ち去ったほうを見ていた事。そして、クラストを見ていた事を。誰もが、それぞれの悩み・思いで頭がいっぱいだった。ナムルス王子の公式訪問は、このときから波乱に満ちたものとなることは、決まっていたのかもしれない。

index prev next