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「それにしても驚いたわ。ナムルス王子とクラストが剣の手合わせをするなんて。私のところへ話が届いてからすぐ来たのよ」
(ミリア様に伝えたのは一体誰なんだ…。お陰で面倒臭いことに……)
そうは思っていても口には出せず、苦笑で返す。
「話の流れでそういうことになってしまい…。ですが、大変貴重な機会だったと思います。ナムルス王子ほどの剣の使い手との勝負など、滅多にありませんから」
「なんなら、俺がいつでも相手してやるぜ」
「ふん、話にならないな」
ウェスターからの軽口にもいつもの様に返してはいるものの、クラストは心ここにあらずだった。頭の中ではこれからのことを必死で考えていた。そしてウェスターも、クラストに軽口を叩いてはいるものの、その実、クラストを注意深く観察していた。そしてミリアはと言うと、二人のそんな様子にはまったく気付いていなかった。
疲れたからというのを言い訳に、クラストは夜の護衛をウェスターに任せ、与えられた自室で思案していた。
(この国で今、俺の素性を知っている者はナムルス王子しかいない。ナムルス王子さえ何とかすれば、これからもこの国の中で生きていける…。だが王子のことだ、何かしらの騒動の種はまいていくに違いない。もしくは、滞在中に騒動を起こしていくか……)
「難しい顔をしているわね、クラスト」
廊下側からではなく窓側からかかった声に驚いて顔を上げると、そこにいたのはかつてちょっとした騒動を巻き起こしていった人物だった。
「お久しぶり、クラスト」
「アマンダ!なぜここにまた…今度は何の用なんだ」
「あら、つれないわね。ナムルスがこちらに滞在してると聞きつけてわざわざ来てあげたっていうのに」
口には微笑を浮かべ、楽しそうにアマンダは言うが、一方のクラストは苦虫を噛んだ様な表情を浮かべていた。
「ナムルス王子だけでも大変だというのに、これ以上厄介ごとを持ち込まないでくれ」
心からの嘆願を溜息とともに吐き出した。そんなクラストの様子に、アマンダは今にも笑い出しそうな笑みを浮かべた。完全に面白がっている。
「こんなに困り果てたクラストなんて、初めて見るんじゃないかしら。いいものを見させてもらったわ。そのお礼というわけではないけれど…ちょっとした情報をあげる。あなたも知っておいた方がいい情報だと思うわよ」
アマンダはあまり信用ならないが、アマンダがもたらす情報は、ある程度信用できる。クラストは無言でアマンダを促した。
「今回、ナムルス王子に付き従ってエクスノッセ王国に来たものの中には、実は反ナムルス派の人間が何人かいるわ。もちろん、ナムルス王子もそれは承知している。そして、その反ナムルス派の人間がメストリア国王とかなり懇意にしていることもね。知っていて好きにさせているわ。器が大きいのかただの馬鹿なのか…おそらく、国王がどう出てくるかの様子見と言ったところかしら」
「前置きはいい。本題を話せ。まさか、これが有益な情報だとでもいうわけではないだろうな」
いつまでも本題に入ろうとしないアマンダにクラストは痺れを切らしてつい口を挟んでしまった。
「せっかちね。まぁ、それだけ精神的に追い詰められてるって事なのかしら。いいわ、本題に入りましょう。これはナムルス王子は知らないだろうけれど、実は国王と反ナムルス派の貴族たちはナムルス王子を排斥しようと企んでいる。そして、その後釜にすえようとしているのが、第四后妃の息子、第五王子よ」
「第五王子…なぜ……今頃になって…。しかも」
「そう、第五王子は今、メストリア国内にはいないわ。そして、第五王子は一部ではもう死んでいるとまで言われていた。でも、死んではいなかった。暗殺の手を逃れて、国外へ逃げ、そこで生きていた」
「だからといって、なぜその第五王子を」
慌てるクラストと裏腹に、アマンダは冷静に、事実だけを述べていく。そしてその言葉たちは確実にクラストを追い詰めているようだった。
「あなたは知っているでしょう。メストリア国王が、五人いる后妃のうち、どの后妃を一番愛しているか。一番の寵愛を受けているのは第四后妃よ。ナムルス王子の母である第二后妃ではないわ。国王も人の子なのね。自分の愛する第四后妃の息子、第五王子を帝位につかせたいみたい」
「だからといって、国王の一存で決められるわけがないだろう。ナムルス王子は着実に力をつけているのだから」
「だからよ」
アマンダはクラストの目を見つめ、言い聞かせるように言った。
「反ナムルス派、というよりむしろ国王派の貴族が狙っているのは、このエクスノッセ王国滞在中のナムルス王子の失脚。というのは言い過ぎにしても、付け入る隙をこの滞在中に作り出そうとしているわ」
エクスノッセへのメストリア帝国からの使者の来訪は、軍事的な意味を持っているだけではなく、内部事情も絡んでいたのだ。ほぼ間違いなく、エクスノッセ王国側の人間で、この情報を知っているのはクラストだけだろう。だが、アマンダが情報源であるこの情報を国王に進上することは憚られた。アマンダの素性や、アマンダとの関係を国王に言うわけにはいかないからだ。だが、反ナムルス派の者達が、ここエクスノッセ王国滞在中に何らかの事を起こそうとしているとすれば、エクスノッセ側も何らかの手を打っておく必要があるだろう。そのジレンマをどうするべきか。クラストには、また一つ頭を悩ませる事が増えてしまった。
「で、どうするの?クラスト。あなたは何らかの行動を起こさなくてはならないのではなくて?そう思って、私は親切にも情報を持ってきてあげたのだけれど」
押し付けの親切は親切ではない!と言おうかとも思ったが、クラストはぐっと我慢をしてアマンダに言葉を返した。
「行動は起こさなければならないだろうが、それはあくまでエクスノッセ王国の者としてであって、個人的なものではない。だが、国王様にこの情報を伝えようにも情報源が情報源だからな・・・」
「何?私が情報源じゃ、国王様に伝えられないというの?」
伝えられないことを分かっていて平気でこういうことを言ってくるのがアマンダである。
「当たり前だろう。関係を一体どう説明するというんだ。明らかにこの国のものではないお前との関係を…」
「それは、正直に…言えるわけないわね。じゃあ、私が城下で噂としてでも流しておくわ。それなら問題ないでしょう?あなたが国王に伝えなくても誰かが伝えるわ。でもね、クラスト」
それまでの、ある種のからかい混じりの様子から変わって、アマンダは真剣そのものの顔つきになり、クラストに近づいた。
「クラスト、あなた本当にすべてを隠したままこのエクスノッセ王国で生きていけると思っているの?しかも、一般の下級兵士としてならともかく、王女の護衛になどなって…どうして、おとなしく生きていこうとしなかったの?今回の事だって、あなたが王宮にさえいなければ起きなかったことかもしれない。ナムルス王子があなたを見つけたとして、ここまで問題にはならなかったかもしれない。どうしてなの、クラスト」
アマンダの言っていることは、至極真っ当なことでありクラストはそれに反論することは出来なかった。
「アマンダ。俺は、どんなところにいようと、どんな生活をしようと俺は俺だと思っている。だからこそ、後悔はしたくない。全力を尽くして、人生を全うしたい。誰もが願うことを俺も願っているんだ。そして、俺が自分の力を一番発揮できると思ったのが、この王宮での兵士として生きる道だった。ミリア様の護衛になったのもナムルス王子が訪問してきたのも想定外だったが、これも運命と思って、自分が出来る限りの足掻きをするつもりだ。もしそれで、すべてが明るみに出るとしたら、その時はその時だ。俺も覚悟はある」
真っすぐにアマンダを見るクラストの目つきに安心したのか、アマンダは一つ息を吐いて肩をすくめた。
「あなたって、強情な性格だったのね。でも、覚悟があるというならその覚悟を見せて頂戴」
そう言ってアマンダは窓から身を躍らせ、クラストの前から去っていった。ほっと息を吐いたその時、部屋の前の廊下から立ち去る足音が聞こえた。
(このタイミングだと…まさか、話を聞かれていた?)
焦って扉を開けると、足音の主と思われる人物が廊下の角を曲がるところだった。その人物の顔が険しく歪んでいるのが廊下の照明によって見て取れた。そして、そんな表情をしている原因はやはり先程までクラストとアマンダが交わしていた会話にあるのだろう。クラストの様子を不審に思い訪ねてきたところ、偶然会話を聞いてしまったといったところだろう。
その人物とは―――ウェスターであった。
クラストは会話を聞いてしまった人物がウェスターでよかったのかどうか思案した。何らかの行動は起こしてくるだろうが、あまり事を荒立てたりはしないだろう。不本意ながらも相手の出方次第で対応を考えるしかなさそうだ。
だが、ウェスターとのこれまでの関係を考えると、その関係は悪化せざるを得ず、それはクラストにとっては非常に残念なことだった。なんだかんだ言ってはいても、気の置けない友人だったのだ。
どうか、少しでも良い状況になってくれればと願うしかなかった。
「どういう意味なんだ。正体を隠してるとか……そもそもあの女やナムルス王子とはどういった関係なんだ…。あいつ、この国の者じゃないって事か?まさか、メストリア帝国の……いや、でも………。あぁもう、どうすりゃいいんだよ!」
ナムルス王子の訪問が決まったときからおかしかったクラストが気になり部屋を訪ねたものの、余計わからなくなってしまった。ウェスターは混乱した頭の中、"部屋に行かなければ良かった"と本気で後悔していた。
だが、本人たちの意思とは無関係に、それよりもより大きな力を持つ意思によって皆動かされていくことになるのだった。
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