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ミリアが目を開けると、見たことのない天井が目に映った。
(ここ……どこ?)
ゆっくりと上体を起こして周りを見渡してみると、シンプルなデザインの調度品。そしてソファで眠るクラストの姿。
(そうだ、ここはクラストの部屋。といっても、仮だけど。それで私は、クラストの部屋にお泊りしたんだ)
もう外は明るい。しかしクラストが起きる気配はなかった。昨日は客も来ていたし、久し振りで疲れたのだろう。
ミリアはそっとクラストに近づきしゃがみこんだ。
クラストの顔が目の前にある。
横向きに寝ているために、前髪が顔に無造作にかかっていた。
(クラストって、こうしてみると案外かっこいいのかも。口を開けば…………でも、慣れたのか、気にならなくなってきたし。あれ、クラスト意外と睫毛長い)
などと、寝ているのをいいことにじっくりと観察する。こんな機会はもう二度とないだろう。調子に乗って、クラストの前髪をかき上げようと手を伸ばしたとき、クラストの瞼がかすかに動き、クラストはゆっくりと目を開けた。
「お、おはようクラスト」
「ミリア……様」
どうやら、まだ完全に目が覚めたわけではないらしい。
「もう朝よ。クラスト、やっぱり寝づらかった?」
「いえ…。実は朝が弱くて…。いつもは、かなり早くに起きるように…してるんですが…。昨日は気疲れしてしまったようで………」
そう言ってあくびをかみ殺すクラストは妙に子供っぽくて…
(クラスト、何か可愛いのだけれど……)
至近距離でクラストを見ながら、そんなことを思ったミリアは、何故だか急に顔が熱くなった。
「ミリア様?顔が赤いですが、熱でも?」
「ち、違うわよ。大丈夫。本当にありがとう。助かったわ。それじゃあ」
ミリアはそう言って、部屋を飛び出し走り去ってしまった。
「ミリア……様?」
何故ミリアがそんな行動を取ったのか全くもって分からないクラストは、首を傾げてミリアの出て行った扉を見ていた。
「あら、王女様はこちらにお泊りだったの?」
「アマンダ!」
アマンダのいきなりの登場により、クラストは意識がはっきりとした。
「あら、ごめんなさい。窓から入ってきてしまって」
そう言って長い黒髪をなびかせながら部屋へと入ってきた。
「昨日、王女様の部屋に行ったのはとんだ無駄足だったわ」
「昨日の晩もミリア様の部屋へ行ったのか!」
「ええ。そしたら王女様はいなくて、なんて言ったかしら…えっと」
「ウェスター」
「そうそうその人。その人しかなくて。気が抜けて町に戻って、自棄酒しちゃったわよ。あぁ、頭痛い」
アマンダはおどけた調子でクラストに言った。
「というわけで、ベッド借りるわね」
「おい!」
「おやすみなさい」
アマンダは言うが早いかベッドに潜りこみ寝息を立て始めた。
クラストは、つい疑いの目で、ベッドの上で眠るアマンダを見てしまう。しかし、眠っているアマンダは、クラストの疑念を打ち消してはくれない。
(アマンダ…。一体何をしにこの城へ?ミリア様のもとへ?)
自分に会うためではなく、ミリアへ会うためにアマンダはこの城へ来たのだろう。それが新しい仕事?一体どんな内容なのだろう?考えれば考えるほど分からない。何も解決する術のないこの状況では、考えるだけ無駄だと思い直し、クラストは、静養するようになってから日課となった散歩をしに部屋を出た。
クラストが部屋に戻ると、ベッドにアマンダの姿はなかった。
(当たり前か…)
散歩に出てから、かれこれ三時間が経過していた。もっともこのくらいの時間なら、アマンダは既に帰っているかもしれないと予想しつつ帰ってきたのだが。
クラストは、いつもの倍は遅いであろう歩調でいつものコースを歩き、ふと立ち止まって、衛兵の訓練の様子を見ていた。
(懐かしいな。あの中で訓練をしていたんだなぁ)
しかし、はたから見ると実に危なっかしい動きなども多々あり、見ているほうはハラハラする。
(昔はこうだったのか……)
同じ年頃の者に比べれば、剣術には秀でているつもりだったのだが、きっとどんぐりの背比べ程度のものだったのだろう。
(あの頃は、ただがむしゃらに訓練に打ち込んでいたな。宿舎に帰っても、食べて寝るだけ。疲れて、他の事に手を回す余裕などなかった。身体的にも、精神的にも手一杯で……)
そこまで思い巡らせてみてふと気づいた。昔のことを思い出すことなど、今までなかったことに。
「今の今まで手一杯だった……というわけか」
余裕ができたのは、王女の護衛という仕事のせいだろうか。それとも……
キンッ
金属同士がぶつかり合う音がして、目の前に抜き身の剣が弾き飛ばされてきた。
左手で剣を拾うと、まだ十代前半だろう、子供らしさを残した少年が慌ててやって来た。
「すみません。ありがとうございます」
「いや。訓練、頑張るように」
「はい!」
元気いっぱいに返事をして駆け戻っていこうとする少年を呼び止め、年を聞いた。
「十三です」
「そうか、呼び止めてすまなかった。もういいぞ」
今度こそ訓練へと戻っていく少年を見届け、クラストはその場に座り込んだ。
(十三歳か……。まだ親の元にいたいだろうに。あの年でもう衛兵の訓練を……)
実際に親元を離れたのは、十一、二歳の頃だろう。
「自分だけが特別ではないということだ」
言い聞かせるように呟くと、勢いをつけて立ち上がった。
上を見上げると雲一つない青空が広がっている。
(空を見るのも久しぶりだな)
一つ息を吐き、気分も良く、いつものコースの倍以上の距離を歩いて部屋へ戻ったのだった。
(どうしてっ)
クラストの部屋から逃げるようにして自室へと戻ってきたミリアは、ベッドに突っ伏していた。
その顔は依然として赤い。
(どうして赤くなるのよ、私!)
自分に突っ込んでみても、顔のほてりは一向に治まらない。
(だって…クラストったら、いつもと違って…かわい…)
寝起きのクラストの顔を思い浮かべるとミリアの体温は更にはね上がった。
「もう、一体何なのよ」
思わず起き上がって叫んでしまった。すると、ウェスターが隣の部屋から顔をのぞかせた。
「ミリア様、帰ってこられたんですね」
「ウェスター。ごめんなさい。無断でいなくなってしまって」
「クラストからの置手紙がありましたので、眠れぬ夜を過ごさずに済みましたが、次からはこのようなことのない様にお願いします」
「ごめんなさい」
すると突然ウェスターはミリアに近づき、顔を覗き込んだ。
「ミリア様。どうかしましたか?」
「えっ」
「顔が真っ赤ですが」
うつむいてしまって何も言わないミリアに、ウェスターは少々焦り、「クラストと何か?」と聞いてしまった。
ミリアは更に赤くなってしまい、ウェスターはまさかと思った。
「ク、クラストに何かされたのですか!」
「そ、そんなわけないでしょ!」
未だ顔は赤かったが、嘘はついていないようだ。ウェスターとしては、予想していた答えではあったので、一安心であり、当然といった所である。
しかし一体、何があったのか。
どうにか落ち着こうと必死のミリアを見て、ウェスターは一つの可能性に行き着いた。
「ミリア様」
それから続いたウェスターの言葉をミリアは必死で否定した。しかし、ウェスターから見れば、その否定は、肯定としか受け取れなかった。
ミリアは気づいていないようだが、いずれ自覚するだろう。少なくとも、自分の言葉は気づくきっかけになるだろう。
(クラスト。頑張るんだぞ)
ウェスターは、これから大変になるだろう友に同情した。
――ミリア様。…恋を…されましたか?――
その日の夜、クラストの部屋には再びアマンダの姿があった。
「今度は何だ?」
「私帰るから、その挨拶にと思って」
「帰る?」
「ええ」
そういってにっこり笑うアマンダに、クラストは少々拍子抜けした。ミリアを狙っていたのではなかったのか。
「アマンダ、ミリア様は」
「王女様の件は、私の独断よ。誰からも指示は受けていないわ。安心したかしら?」
「安心って……」
「安心したでしょ?まあ、それは置いといて。あなたに伝えなければならないことがあるわ。これも伝えるのは私の独断だけれど……」
そういって急にアマンダは真剣な表情になった。クラストは、アマンダに手招きをされるままに近づいた。そして、耳打ちされた内容に驚愕した。
アマンダは、そんなクラストの様子に満足したのか、口元に笑みを浮かべて去っていった。
クラストは暫く呆然として立っていたが、椅子に倒れこむようにして座り、詰めていた息を吐いた。上体が倒れそうになるのをこらえたが、気分が悪いのはどうしようもなかった。
なぜ今頃。
かといって、いつなら良かったということもなかったが、過去は過去と、そのまま放っておいてくれればよかったものをと思わずにはいられなかった。
(今まで考えないようにしてきたが、そうもいかなくなったか。どうにかしないとな)
心労の種が増えた気がするが、致し方ない。運命(さだめ)だと思って、乗り越えていくしかないと、半ば諦めにも似た気持ちでクラストは、自分を納得させたのだった。
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