想いの果て−the end of hearts- 第二章 二つの思いが近づくとき

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 ミリアが訪ねてきた翌日、クラストの部屋には別な客が来ていた。

(どうして急に人が訪ねてくるように…?)

 今までずっと人など尋ねてこなかったのに、ミリアが来てから千客万来だ。

 今日の客人は、腰まで届く黒髪を、縛ることもなく自由に流しており、衣服も、エクスノッセ王国の物とは一風変わったものだった。

「お久しぶりね、クラスト。あなたは変わらないわね」

「何しに来た」

 微笑を浮かべている客人に対して、クラストは仏頂面だった。

「本当に変わってないわね。仕事の場所が、前よりも王宮に近くなったから、ちょっと寄ってみただけよ。いけなかった?」

「お前の黒髪は目立つ。いらぬ注目を集めたくない」

 客人は、自分の黒髪を手に掬って見つめた。

「あら、ごめんなさい。自分の容姿に注意なんて払ってなくて…。それよりも、年上の私に'お前'はないんじゃない?」

 そこへ、勢いよく部屋の扉が開き、ミリアが入ってきた。

「ミリア様。今日はどういった用で?」

 この部屋は、クラストが静養のために貸し与えられた王宮の一室である。クラストとしては、一人でゆっくり静かに過ごしたいのだが、そこのところを、今ここにいる二人は分かっているのだろうか?

「いえ、これといった用は…。ただ昨日の事を謝ろうと…。あの、こちらの方は?」

「私の知り合いのアマンダです」

 クラストに紹介され、アマンダはミリアに対し優雅に一礼した。

「アマンダ・ヨセフィーノと申します。以後、お見知りおきを、王女様」

「こ、こちらこそよろしくお願いします」

 ミリアは、アマンダの容姿に目を奪われていた。西や南の者特有の黒い髪は、アマンダの闊達そうな顔立ちにとてもよく合っていた。エクスノッセの人たちにはない、強い美しさだと思った。クラストと並ぶと、まるで一枚の絵のようで……

「クラストとは親しいの?」

 しらず、そのような言葉が口をついて出ていた。

 アマンダは、一瞬虚をつかれたような表情をしたが、クラストをチラッと見て、ミリアにとびきりの笑顔を向けて言った。

「ええ。2、3年ほどお付き合いをさせていただいております」

「「!?」」

 二人から視線を向けられてもアマンダは動じなかった。

「そ、そう。それじゃあ、ごゆっくり」

 ミリアは、クラストの方を見ずに、逃げるようにして帰っていった。

「アマンダ……。何故、誤解を招くような発言を?」

 クラストの目には、ただ困惑の色だけがあった。照れや怒りなどはない。やはりクラストらしいと思いながら、アマンダはこともなげに、「王宮に入ったり、あなたに会ったりし易くなるからよ」と言った。

 つまり、ただ単に気まぐれに訪ねてきたわけではなかったのだ。何か自分に用があったのだ。

 それは、一体どんな理由なのか……。

 しかし、クラストがそれを聞く前に「仕事があるから」と言ってアマンダは帰ってしまった。

(全く、何だったんだ)

 しかし、クラストにはまだやることがあった。

(ミリア様の誤解を解かなければ。全く、静養中の身だというのに…)

 ため息をひとつついて、クラストはミリアの部屋へと向かった。



「ミリア様、よろしいですか」

「ま、待って!」

 当初の失敗があったので、それ以来、どれほど急いでいても必ず声をかけるようにしていた。しかし、今まで一度も待たされたことはなかったのだが…

「いいわよ、入って」

 部屋に入って周りを見回してみると、部屋の隅にクッションが大量に押しやられていた。よく見ると、椅子のような物もそれに混じっている。

「ミリア様、これは……」

「ウェスターが入ってこられないように。色んな物を掻き集めて、扉を押さえていたの」

「何故そのような……」

「ボイコットよ」

 事も無げに言われたが、耳慣れない言葉に思考が追いつかなかった。一国の王女ともあろうものが、護衛相手に'ボイコット'とは、どう考えても似つかわしくない。

「ミリア様、ボイコットとは……」

「多分、ボイコットでいいのだと思うけれど…。とにかく、私の意見も聞かずウェスターを護衛につけたお父様へのささやかな反抗よ」

「ですからそれは」

 国王に非はないと言おうとしたクラストだったが、その言葉はミリアに遮られてしまった。

「そうね。じゃあ、二人への反抗ということかしら」

 被害を受けているウェスターに同情しながら、クラストは嘆息した。いつからこの'ボイコット'は始まったのだろう。そもそもこれは'ボイコット'と呼べるのか。甚だ頭の痛いことである。

 そこまで考え、クラストは一つの事に思い当たった。

'何故ウェスターは何も言わない?'

 このような事をされていたのなら、先日会った時に愚痴でもこぼしていったはずだが、そのような事は何一つ言っていなかった。とすれば、この'ボイコット'は、前々からのことではないのではないか。

 とすれば…。

 あるひとつの可能性を思いつき、クラストは試しにミリアに聞いてみた。

「ミリア様、これはもしや、アマンダ除けではありませんか?」

「……」

 どうやら図星だったようで、ミリアは俯いてしまった。

「どうしたのですか、ミリア様らしくない。それに、アマンダがミリア様の部屋まで来る筈もないでしょう」

「だって……」

 そしてミリアは、昨日見た黒髪のことを話し始めた。

 話を聞き終えたクラストは難しい顔をしたまま黙り込んでしまった。

 ミリアが見たという黒髪の持ち主は、十中八九アマンダであろう。しかし、何のためにミリアの部屋へ来たのかが分からない。そして、それを聞きたくとも、アマンダが今どこにいるか分からないのだ。こちらは、ただ待つことしかできない。

(全く、本当に勝手だな)

 もどかしいが、再び訪ねてくるのを待つしかないようだ。

「クラスト?」

 すっかり考え込んでしまったクラストを、ミリアは下から覗き込んだ。我に返ったクラストは、目の前にあるミリアの顔にびっくりしたようだったが、無理やり微笑んで、「なんでもありません」と言った。

「それよりも、そのようなことがあったのなら尚更ウェスターに付いていてもらったほうが良いのでは?」

「そう思ったけれど……それじゃあ、負けたみたいじゃない」

 そう言って口を尖らせたミリアは、王女ではなく、普通の年相応の少女に見え、思わずクラストは笑みをこぼしてしまった。

「何?」

「いえ、何でもありません。それでは、私の部屋に来ますか?」

 ミリアは、何を言われたか分かっていないような顔をしていた。クラストも、そんな言葉を口にした自分に驚いていた。

「クラストの部屋に……?」

 ミリアにしてみたら、クラストからそのような言葉が出てくることなど、予想もしていなかったのだろう。言った本人が驚いているのだから、無理もない話であるが。

 しかし、言ってしまったのだからしょうがない。それに、もし今日もアマンダが現れるなら、接触できる。少々無理に自分を納得させ、ミリアの説得にかかった。

「今日もまた、その人物が現れるかもしれません。でもその者も、まさかミリア様が私の部屋にいるとは思わないでしょう。私はソファで寝ますので、ご心配なさらずに」

「……本当にいいの?」

「はい」

 ミリアはほっとした様子だった。やはり、また現れるかもしれないと思うと、怖かったのだろう。

 まだ、クラストに対して'悪い'という気持ちがあるようだったが、今晩どうするか決めたようだった。

「じゃあ、お邪魔するわ。……ありがとう」

 こうして、ミリアのお泊りが決定した。



「ねぇ、本当に私がベッドを使ってしまっていいの?」

 本気で言っているであろうミリアに、クラストは嘆息する。

「ミリア様。立場をお分かりですか?いくら私が怪我をしているからといって、所詮護衛に過ぎない私が、王女であるミリア様を差し置いて」

「わかったわよ。では、遠慮なく」

 クラストがこう言う事など分かっていたはずなのに、忘れてしまっていた自分が馬鹿だったのだろうか。いくらでも続きそうなクラストの話を無理矢理終わらせ、ミリアはベッドの中へもぐりこんだ。

 クラストはベッドの側の明かりを小さくし、部屋全体の照明を落としたあと、ソファに横になり毛布をかけた。

 しかし、目が冴えてしまって眠れない。アマンダと接触することを狙っているとはいえ、一晩中おきているのは、今は少し辛い。物音がすれば起きるよう訓練されているし、今まで気づかず寝過ごしたこともない。寝るのが得策なのだが、今日はどうも眠気が襲ってこない。

(一体アマンダは何を考えているんだ。……大体来るのが突然すぎる。前触れもなしに……)

 考えれば考えるほど考えはまとまらず分散していく。

 寝なければと、考えるのをやめ、瞼を閉じる。目を閉じていれば、体は休まる。しばらくそうしているうちに、いつの間にかクラストに眠りがおとずれていた。



「ミリア様っ!」

 一方、ミリアの部屋ではウェスターが困り果てていた。



 ミリアの部屋と控えの間を直接つなぐ扉は、ミリアに鍵をかけられてしまい、廊下に面した扉も開けてもらえない。国王に、控えの間との扉の鍵は、外してもらえるよう直談判したのは今日の午後。鍵がどうなるかは、後日ということになった。そのあとは、半ば不貞寝をしていた。仕事がないのだ。やる気もなえる。しかし、何とかしなくては…。そう思って重い腰を上げたのは、すでに夜になってからだった。

 あまりごり押ししては、また靴を投げつけられかねない。迷った末、結局奮起して廊下側の扉をノックした。

 しかし返事がない。いくら待っても、いくら呼びかけても返事はなかった。

 流石に不審に思い、ドアノブをまわし、扉を押す。先ほどまで開かなかった扉は難なく開いた。

 しかし、肝心のミリアがいなかった。この扉を押さえていたのであろうクッションや椅子はあったけれど、ミリアはいない。ベッドに寝た形跡すらなかった。

 ウェスターは心底青くなった。

(く、首がとぶ……)

 先の王女誘拐事件に始まる一連の事件は、まだ記憶に新しい。それなのに、またミリアがいなくなったとなれば……。

(どうすればいい……)

 うろたえるウェスターの目に、テーブルの上に乗った紙が見えた。

(王女様からだろうか)

 しかし予想に反し、その紙に書かれた文字は、クラストのものだった。

 そこには'ミリア様は、今日は私の部屋へ泊まることになった。久し振りにゆっくりと休め。怪我はしているが、俺一人でも護れるだろう。安心しろ。クラスト'と書いてあった。

(いや、お前と二人っきりで一つの部屋にいることのほうが危険……でもないか)

 今日会った限りでは以前と変わっていないようだったから、そんなことにはならないだろう。

(じゃあ、お言葉に甘えてゆっくり寝させてもらいますか)

 ウェスターは照明を全て消して控えの間へと戻っていった。

 ウェスターは気づかなかったが、テラスには人影があった。その人影は、音もなく暗闇の中へと消えていった。

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