想いの果て−the end of hearts- 第二章 二つの思いが近づくとき

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「本日より再び、護衛をさせて頂くことになりました、ティム・ウェスターです。お久しぶりです、王女様」

「えっ?」

 突然の出来事に、ミリアは夢かと思い、自分の頬をつねってみた。

「痛っ」

 どうやら夢ではないようだ。では、と思って目の前にいる人物を見る。そこにいるのは、一ヶ月ほど前まで自分の護衛をしていた人物。ウェスターに間違いない。

「王女様、夢ではありません。クラストの代わりに私が参ったのです」

「クラストの……代わり?」

「ええ、まだ腕が完治していないので、クラストが護衛に復帰するのはまだ先のことです。しかしながら、王女様に護衛は必要。というわけで、私に白羽の矢が立ったのです」

 そこまで言われても、まだミリアの思考回路は止まったままだった。

 ミリアの頭の中では、クラストが怪我をした日の国王との会話が、繰り返し流れていた。



「ミリア、新しい護衛のことだが」

「お父様、まさかクラストを辞めさせるのですか?」

「いや、そうではない。クラストが復帰できるまでの一時的なものだ。クラストの怪我が治ったら、その時はまたクラストに護衛に復帰してもらう」

 国王はミリアを安心させるように微笑した。

「いいえ、お父様。クラストが復帰するまでの代わりの護衛は必要ありません」

 強い口調でそういったミリアに、国王は驚いた。クラストが着任した頃の二人の諍いは、国王の耳にも当然ながら届いている。

 それなのになぜ、クラスト以外の護衛はいらないというのか。

「このような事態になった責任は私にあります。その罰として、私には護衛をつけないで下さい。自分の身くらい自分で守れます」

「しかしミリア、ああいった事件もあったことであるし。それに、罰を与えるならば、今後こういったことが起こらないよう、護衛をつけるほうが適切ではないか」

 そのようなこと、百も承知で言っているミリアである。引き下がるような真似はしなかった。

「いいえ、何もかも自分でやらなくてはならなくなりますわ。決して侍従を使ったり、誰かに頼ったりなどはしません。それに……」

「それに?」

 少々ためらいを感じながらもミリアは国王の目をしっかりと見て言った。

「私、クラスト以外の護衛など嫌です」

 そして、ミリアは逃げるようにして国王の前から立ち去り、自室へ戻ったのである。



 あれからもうすぐ一週間になるが、なんの音沙汰もなかったので、ミリアは自分の意見が通ったのだろうと思っていた。

 なのに何故今頃?

 考えていることが全て顔に出てしまっていたのか、ウェスターは苦笑しながらも、護衛が付くのが遅くなってしまった理由を話した。

 人事異動があってから間もないこと。適当な人物がいなかったこと。そして何より、あのような事件があった後である。誰もミリアの護衛を買って出ようとは思わなかったのである。

 つまり、国王はクラストの代わりの護衛を、あの後、ミリアの話を聞いたにもかかわらず捜していたのだ。

(お父様は、私の話を聞いていらっしゃらなかった?それとも、聞く気がなかった…?)

 そう思うと、いてもたってもいられなくなり、ミリアは部屋を飛び出し、国王の元へと急いだ。



 そして数分後、ミリアはクラストの部屋の前にいた。

 扉をノックすると、久しぶりに聞く声が答えた。

「どうぞ」

 返事があるやいなや、ミリアは扉を開け、部屋に入った。

「クラスト」

「ミリア様っ!」

 一人部屋に入ってきたミリアを見て、クラストは驚き、手に持っていた紙を落としてしまった。慌てて拾ったが、未だに現状を把握できていなかった。

「ミリア様、なぜこちらに?それに、ウェスターはどこですか?」

「どうして?どうして、ウェスターを護衛になどと言ったの?」

 ミリアが国王の下へ抗議に行ったところ、その件については、クラストの意見を反映してのことだと言われたのだ。ミリアの意見をクラストにも伝えたが、クラストの意見は変わらなかったとも。そして最後に'クラストの意を汲んでやるがよい'と言われた。

 もちろんミリアは、そんなクラストの意見など汲むつもりは全くなく、きっちりと話をつけるため、今こうしてクラストの部屋にいるのだった。

「クラスト。私の意見を聞いても、あなたが自分の意を曲げなかった理由を教えてちょうだい」

 クラストは、やれやれとでも言うかのように深く息を吐き、呆れたかのような目でミリアを見た。

「ミリア様は、ご自分の身分、そして立場を分かっていらっしゃるのですか?王女という身分であり、護られる立場でありながら、護衛がついていないなどと・・・。どう考えてもおかしいことで、危険なことです。王宮は、ミリア様もご存知のとおり、安全でも平和でもないのですよ」

 自分の身を案じてくれているのかと、すこし嬉しくなったが、その思いは、すぐさま消されてしまった。

「それに、王女に護衛がついてないなどと他国に知れたらどうなるとお思いですか。エクスノッセ王国が軽く見られることとなるのですよ」

 外聞を気にして、そういうことを言っているのだと言われて、いい気がするはずがない。

「わかったわ。つまり、あなたにとって、私の安全は外聞よりも取るに足らないことだというわけね。いいわ。私はウェスターと仲良くやっていくから、あなたはずっとここで静養してればいいのよ」

 そういい捨て、ミリアはクラストの部屋を出て行った。なぜか涙が出てきて、それをクラストには見られたくなかった。

 ミリアが戻ってくる気配のないことを確認したクラストは、誰もいないはずの空間に声をかけた。

「いるんだろう。出てこい」

「何でもお見通しというわけか?」

 軽口をたたきながら、窓から部屋に入ってきたのはウェスターだった。

「相変わらず身軽だな。だが、きちんと扉から入って来い」

「次からはそうするよ。まあ、そんなに怒るなよ」

 親しげな様子でウェスターはクラストのほうへ歩いてきた。

「しかし、昔から優秀だったお前が怪我するなんてな。しかも利き腕…。ひびは、折ったときより治りが遅いんだぞ。どうせなら、折っとけばよかったのにな」

「そんな簡単に言うな」

 応対は素っ気なくとも、クラストが会話を嫌がっている様子はなかった。

「皇女を護ろうとして下敷きになったらしいな。護衛としては当然の働きだが…」

「やり過ぎだとでもいうのか?」

 眉間にしわを寄せてクラストは言った。

「いや、そうじゃない。ただ…」

「ただ、なんだ?」

「お前のイメージと合わなくてな」

 自分でも、そう思っていたためクラストは苦笑するしかなかった。

 ウェスターも苦笑しながら頭を掻いており、目が合った瞬間、つい笑い出してしまった。

 久し振りの心地よい時だった。



 クラストとウェスターは近衛兵として同期入隊した仲だった。クラストもウェスターも、他の者よりも剣の腕前が抜きん出ており、敵う者がいなかったほどだった。だから、ウェスターがクラストをライバル視するのも道理といえば道理だった。クラストのほうは、ウェスターをライバル視はしていなかったが…。

 そんな二人だが、出世していくうちに、違う分隊に配属されたり、ウェスターが王女の護衛についたりなどして、だんだんと疎遠になってしまっており、こうして二人で会うのは、実に二年ぶりだった。

「それはそうと。何のためにここへ?護衛なのだから一緒に来ればよかっただろう」

「それが、王女様に置いていかれてな。だが、付いていかないわけにもいかない。かといって、後を追いかけるのも、ちょっとな…。だから、外から護衛してたんだよ」

(言い訳だな)

 ウェスターは微笑みながら近づいてきたが、クラストはそんなウェスターから距離を置いた。ウェスターがこんなことをする時は、裏に何かあるときだ。

 このときもそうだった。

「お前って不器用だよな」

「は?」

 いきなり出てきた言葉に、ついつい間抜けな声が出てしまった。

「あぁ、もちろん性格がな。思っていることをそのまま口にできない。不器用なんだよなぁ」

 一人で納得している様子のウェスターだったが、もちろんクラストにはまるで分からない。訝しげに聞き返した。

「何のことを言っているんだ、お前は」

 ウェスターは、クラストの言葉に少し驚いた。そして、ウェスターが驚いたことに対し、クラストも驚いた。

(自覚ないのか?)

(何か変なことでも言ったか?)

「さっきの王女様との話だ。本当は心配だから護衛をつけるよう国王様に頼んだんだろう?それなのに、体裁のせいにして。あれでは、王女様が傷つくだろう」

「何を言っているんだ?実際、体裁を気にしているのだが」

 本当に何を言っているか分からないという顔をクラストはしていた。

 ウェスターは肩をすくめ、護衛の仕事に戻ると言い、クラストの部屋を後にした。

(本当に自覚はないのか?)

 どうにも解せなかった。自分の身をていしてまで護ったのだから、クラストがミリアに好意を、少なくとも嫌ってはいないことは確実である。ということは、心配してもなんらおかしくはない。だが、心配はしていないと言い切る。

(嘘だとは思うんだが…。だが、奴の事だから、普通の奴と感覚はちょっと…)

 そんなことを考えつつミリアの部屋へ行くと、ミリアが腕を組んで立っていた。

「ウェスター」

「な、なんでしょうか」

 気のせいだろうか。ミリアからは殺気とも言えるほどの怒気が迸っているように見える。

「どこに行っていたのよ、この馬鹿〜〜〜〜〜!」

 少々引き気味だったウェスターにミリアは自分の足から取った靴を投げつけた。

「あなたは入ってこないで、控えの間にでも下がっていなさい」

「あの…靴を」

 ミリアは、靴もそのままに部屋の扉を閉めてしまった。

「これって……八つ当たりだよな…」

 あまり高くはないものの、ヒールのある靴を投げられ、運悪くそのヒールが見事ウェスターの額に直撃してしまった。そして、額から血を流す羽目になったウェスターは、手に持った靴を見つめた。

「何で俺が…」

ボソッと呟いた言葉は、案外廊下に響いたけれど、それを聞くものはいなかった。そしてウェスターは、傷の手当のため、靴を手に持ったまま医務室へと向かった。



「クラストの馬鹿っ!」

 ミリアは、もう誰にも入ってこられる心配がないため、ベッドに突っ伏してクラストへ悪態をついていた。

 しかし、悪態などすぐ尽きてしまい、代わりにこみ上げてきたのは嗚咽だった。

 最初は、どうして泣き出してしまったのか分からなかった。でも、きっと、悲しかったのだ。

 クラストにとって、自分は一人の人間としてではなく、王女という身分があるから護らなくてはならない存在だと、暗に言われたから。

「というより、言ってたわよね」

 呟いて、また涙が出てくる。顔を枕にうずめ泣くミリアの耳に、声が聞こえた。ウェスターの声ではない。女の声…。

 顔を上げて部屋中を見渡すと、テラスに黒い髪が見えた。風にたなびく長い黒髪は、視界に捉えられたと思った瞬間すぐに消えてしまった。

「今のは…?」

 エクスノッセの者で黒髪を持っているものはいない。全体的に色素が薄いのだ。黒髪の者は、メストリア帝国などの、西や南の者に多い。しかし、そういった国の者だったのだとしたら、何故、王宮のミリアの部屋のテラスへいたのか。

 

謎を解くきっかけは、何の前触れもなく訪れた。

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