想いの果て−the end of hearts- 第二章 二つの思いが近づくとき

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 イノス宰相とフロイト公爵の事件から一ヶ月以上が経過し、ミリアとクラストは最初に比べれば大分打ち解けてきた。

「ねぇクラスト、チェスの相手をしてちょうだい」

「それは私の仕事ではございません。他の人へお頼み下さい」

というように、ミリアのおねだりは相変わらず軽くあしらわれてしまっていたが、クラストの口調や対応の仕方は、大分柔らかくなってきていた。

いつものようにミリアは、クラストの護衛という立場を利用して王宮の中を連れ回していた。中庭へと下りる比較的急な階段を下りている最中に、前を歩いていたミリアはクラストを振り返った。

「ねぇ、今日は一つだけお願いをきいて」

 いつになく真剣な様子のミリアに少し戸惑ったが、クラストはいつものように答えた。

「私の職務内のことであれば、何なりと」

「ダメ。今日だけだから、お願い。何でもきいて」

 頑なに言い張るミリアに、さすがに困惑しクラストはきいた。

「なぜ急に、そのようなことを言い出したのですか。何かあったのですか」

 クラストの問いに、ミリアは多少躊躇しながら答えた。

「……それは、今日は……私の誕生日だからよ」

「それは知りませんでした。おめでとうございます。十九歳になられたのですね」

「失礼ね。十八歳よ。間違えないでちょうだい」

 言い返す口調には、いつもの覇気がなかった。クラストは、ミリアが次の言葉を言うのを無言で待った。

「あなたは知らなかったからいいとして、お父様も、侍従たちもみんな、忘れてるみたいなの。それで、寂しくて……。かといって、私から言い出すのも……。だから、クラスト。プレゼントとしてお願いをきいて」

 クラストは、王宮のある一室にパーティの準備がしてあることを知っていた。ミリアの誕生日を知らなかったから、何なのだろうとしか思わなかったが、なるほど、ミリアの誕生パーティの準備だったのだ。秘密にしていて驚かせようとは、なんともありきたりではあるが、国王達が必死で隠しながら準備してきたものを自分がぶち壊してしまうわけにはいかない。

「忘れてはいないと思いますが」

 悟られないよう、極力控えめに言ってみた。

「わからないわ。あんなこともあったし、今は宰相の座は空いたまま。きっと皆忙しいのよ。だから、忘れてしまっているんだわ」

 本当のことを言うわけにもいかず、かといってこのままではミリアがかわいそうである。そして今日がミリアの誕生日だと知らなかったクラストが、プレゼントを用意しているわけもない。

 クラストは覚悟を決めることにした。

「わかりました。今日だけ何でもおききしましょう」

 ミリアはクラストの言葉をきくと満面の笑みを浮かべた。しかしすぐにハッとした表情になった。

「どうしたのですか」

 ミリアはばつの悪そうな顔をし、クラストが了承するとは思っていなかったのでお願い事を考えていなかったこと。更に、クラストを説得することで寂しい気持ちを紛らし、時間潰しをするつもりだったことも告げた。

「私が、そんなお願いでさえ、断ると思っていらしたんですか」

 クラストが言うと、ミリアはすぐに肯定した。

(日頃の行いを反省する必要があるのだろうか……)

 お互いにそれぞれ思い悩みながら階段を下りていると、ミリアが立ち止まった。

「そうだわ!お願いが決まったわ。あのね」

 そう言って後ろのクラストを振り返った途端、ミリアは階段を踏み外した。足場を失ったミリアは自然の法則に従って落下しそうになる。クラストは慌ててミリアの腕をつかんだ。…しかし、クラストまで一緒に落ちそうになる。

 実はここ最近、クラストはろくに眠っていなかった。事件の事後処理や、国王からの罰として増やされていた仕事量が半端ではなかったためだ。徹夜も何度かあったし、昼間はミリアにつきっきりである。そんなことをしていて体が持つはずもなく、誰にも気付かせるようなことはなかったが、クラストはフラフラだった。

 ミリアを支えきれないと判断したクラストは、ミリアを抱き抱えた。

 そして……。

「いったぁい……」

 上を見ると、さっきいた場所まで大分距離があった。どうやら踊り場まで落ちたようだ。しかし、我慢できないほど痛むところはない。

「クラスト!」

 ミリアは、自分の傍に倒れていたクラストを見て叫んだ。しかし、返事がない。

「クラスト〜〜〜!」

 そしてクラストは、意識を失ったまま医務室へと運び込まれた。



「右腕と肋骨にひびが入っているようですね。後は全身の打撲ですから、命に別状はありません」

 医務長の言葉に、そこにいた一同は安堵の息をはいた。しかしミリアは、暗い表情のままベッド脇の椅子に座りクラストを見つめていた。

「王女様?クラストは大丈夫だそうです。なぜそのようなお顔をなさっておられるのですか」

「だって…だってクラストは、私のために怪我をしてしまったのよ。しかも、利き腕の右手まで……。クラストの事を考えずに連れ回して、フラフラにさせて。私のせいで……」

 体を強張らせてミリアは言った。そんなミリアを見て、そっとしておいたほうがいいと思ったのだろう、一人が皆に目配せをして退出した。その意を汲んだ者達は次々と医務室から出て行き、結局医務室に残ったのは、ミリア、医務長、そしてクラストだけとなった。

「王女様。私は足りなくなった物を調達して参ります。私が戻ってくるまでの間、クラスト殿をお任せしてもよろしいですか」

「わかったわ」

 ミリアが頷くのを見て、医務長は医務室を出て行った。

 ミリアは、膝に乗せた手を固く握り締め、苦しそうに声を絞り出した。

「…クラストの……馬鹿」

「申し訳…ありません」

 帰って来るはずのない声に驚き、俯いていた顔を上げてみると、クラストが薄く目をあけ、こちらを見ていた。

「クラ……スト…?」

「ご心配をおかけしました…。申し訳ありません」

 割としっかりとした口調でクラストは言った。

 クラストの言葉を聞いた途端、ミリアの目から涙が一粒こぼれ、頬を伝った。

 クラストは苦痛に耐えながら左手を伸ばし、その雫を掬い取った。

「私は大丈夫ですから、どうか泣かないで下さい」

 そう言って微笑むクラストを見て、ミリアはこらえきれず、クラストに抱きついた。

「痛っ!……お、王女様?」

 かなりの激痛が走ったが、なんとか我慢する。そして、胸の包帯がだんだん濡れていくのに気付くと、何ともいえない表情になった。

「王女様……」

「…馬鹿。私のためにこんな怪我して。フラフラになってまで私を守って……。挙句の果てに利き腕の骨にひび入れちゃって…。当分、私の護衛なんてできないじゃない。本当に馬鹿なんだから…。大馬鹿者よ」

「申し訳ございません」

「でも…。無事でよかった……。本当によかっ」

 ミリアはこらえきれずに声を上げて泣き出してしまった。どうすればいいかわからなかったクラストだったが、とりあえず左手で、ミリアの頭をあやすようになでた。その様子は、とてもぎこちなかったけれど。

「私はお邪魔なようですね」

 扉の隙間から中を窺っていた医務長は、包帯などを腕に抱えたまま、あてもなくその場を離れていった。

 ミリアが大部落ち着いてきたので、クラストはふと思い出して聞いた。

「王女様、そういえばお願いとは?」

 落ち着きを取り戻したミリアは、これからどうしようと思案していたので、クラストから話し掛けてもらえてほっとした。しかし、お願い事の内容を言うのが何故かはずかしく、クラストの耳元に小声で言った。

 クラストは少し驚いた顔をしたが、上体を起こしたミリアの恥ずかしそうな顔を見て、その顔に微笑を浮かべ承諾の意を表した。

「わかりました、王女様。今日一日限定ではないというのがあれですが、まあいいでしょう。ところで、どうして恥ずかしがっておられるのですか」

「だって、今さら呼び方のことを言うのも、なんか小恥ずかしいじゃない。それと、クラスト」

「あ、すみません。ミリア様」

 よろしいとでも言うかのように頷いたミリアは、クラストにしっかり休むように言って医務室を後にした。

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