想いの果て−the end of hearts- 第一章 二つの思いが出会うとき

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―――先日、王宮宛に一通の手紙が送られてまいりました。差出人の名が書いてありませんでしたので、衛兵が手紙を読んだのですが…。そこには、暗に国王様に対し脅迫をしているようにとれる文面がありまして。そこで、王女様を人質にとられる可能性などを近衛大隊長が国王様に示唆しまして、現在へ至るわけです。



「わかったわ。では、よろしくね、クラスト」

「はい。先程も申したとおり、まことに不本意ですが、できる限りのことはさせていただきたいと思います」

ピキッ

「さっきから黙って聞いてれば、調子に乗っちゃって。いいこと、ラーディス・クラスト!私が気に入らないなら、それはそれで別に構わないわ。だからって、わざわざ相手を不快にするために、口に出して言う必要はないんじゃない?」

 いちいち癇に障る男だ。どうしてこんな奴が護衛なんだろう。

「それは失礼いたしました。ではこれからは、いかなる不平不満があろうとも、私一人の胸にしまっておくことにいたします」

 いちいち言葉の端々に嫌味を混ぜて言う、この態度。やっぱりムカつくわ。

(もう、顔も見たくない!)

 そして王女は、着替えをするからと言って、クラストを追い出した。着替えたばかりだろうと言うクラストに、「誰かさんのせいで気分が悪くなってしまったの。今日は、この服は着ていたくないわ」と、嫌味のプレゼントを忘れずに。

 クラストが部屋から出たのを確認すると、ミリアは部屋の中にある布を引っ張ってきて、それらを互いに結び、テラスから庭へと垂らした。少々長さが足りなかったけれど、下りれないほどの高さではない。なんとか着地できるだろう。ミリアは決して運動神経の悪い方ではなかった。

 そして数分後、ミリアの姿は部屋から消えていた。

 部屋があまりにも静かなことに不審を抱いたクラストが、部屋に入ったのは、数時間後。空っぽの部屋に驚き、近衛兵に王宮内を捜させた。しかし、ミリアを見つけることはできなかった。ミリアが帰ってくるのを待つことにしたが、夜になってもミリアは帰ってこなかった。

 そして次の日の朝、王宮宛に差出人の名が書かれていない手紙が送られてきた。

 嫌な予感がしたクラストは、衛兵から手紙を受け取り、真っ先に読んだ。



 そこには、

“王女は預かった”

と書かれていた。



―――時間は少し遡る



 王宮から抜け出したミリアは、街へと繰り出していた。

「ああ、一人で街に来るなんて初めて!街って素敵ね。やっぱり大勢でぞろぞろと歩くところじゃないわ」

 ミリアは、一応王女なので、一人で街へ行くなど論外のことである。よって、護衛やら何やらで、結構な人数で街へ行くこととなる。つまり、王宮から来たと一目でわかるような集団となるのだ。街の人々が非礼のないように、慎ましく、静かになるのも道理である。

 つまり、ミリアは本来のにぎやかな街に来たことがなかったのである。

 ミリアの眼に街の様子が新鮮に映ったのも当然なことだった。そして、少々羽目を外したり、はしゃいだり、注意を怠ってしまったのも、当然といえば当然のことだったのかもしれない。

 もちろん、ミリアは馬鹿ではない。服は街の人々と同じものに着替えてきた。この服は、この前街に来たときに買ったものだ。クラストに言った着替える≠ニいう言葉も完全な嘘というわけではなかった。

 しかし、ミリアは自分の容姿などには頓着していなかった。そして、それが仇となった。

 輝くような金髪と淡い紫色の瞳をもつミリアは、実は目立っていた。しかも非常に…。

 もちろん、そういった色の取り合わせは多くはなかったけれど、極端に少なくもなかった。つまり、少々珍しいといったところだろうか。しかしミリアは、元来の容姿、気品、意志の強そうな眼差しで、他の人を圧倒していた。そしてミリアは、自覚していないのだから、それらを隠すはずもなく、完全に衆目にさらされていた。いくら街の人でも、どこかのお嬢様だろうと思っただろう。

 これだけ目立てば、嫌でも悪い輩に見つかるものであり、例に違わず、ミリアもまた、そういった者たちに、物陰へと連れ込まれた。

「何なのあなたたち!」

「ミリア王女ですね。われわれと一緒に来ていただけますか」

(私を知っている…)

「嫌よ。何処へ連れて行くというの?」

「それは言えません。ですが、王女が我々に協力をして下さるなら、すぐにお帰りになることができると約束いたしましょう」

「協力?何に協力すると言うの?そんなんじゃ、あなたたちと一緒に行くことなどできないわ」

「どうしてもですか?困りましたねぇ。ある方が、王女を待っておられるのですが……」

「嫌よ、行きたくないわ。いいえ、絶対行かないわ!」

「では仕方がない…」

 そういって男は、数人の男たちのうちの一人に目配せをした。その男は、ミリアと話していた男のわきを通り過ぎた。そして、ミリアにおもむろに近づき、懐からハンカチを取り出し、ミリアの口元へと近づけた。

(まずい!)

 そう思ったけれど、いきなり息は止められない。

 足の力が抜け、意識が飛ぶ…。

(睡眠…薬……?)

「やはり使わなくてはいけなかったか。よし、お連れしろ」

 男は、男たちに指示を出す。男たちは言われたとおりに動き出した。

「これで準備はほぼ整った。後はあちらの出方次第。さて、国王様は一体どうなされることやら」

 そう言って、不敵な笑を浮かべたまま、男はミリアたちの後を追った。金髪で藍色の目をした男。その男の右目はほとんど見えてはいなかった。

 ある事件のせいで……。

「さてさて、楽しみですねえ、国王様。いえ、従兄上様」

 そして、ミリアと男たちは街の奥へと姿を消した。



 王宮に、王女誘拐の知らせが広まるのに、そう時間はかからなかった。瞬く間に上から下への大騒ぎとなった。

 ミリアの身柄を取り戻す方法は一つ。犯人の要求をのむことである。そして、犯人の要求は百億ラグ。この額は、エクスノッセ王国の一年の予算額とほぼ同じ額であった。かなりの額である。いまのエクスノッセ王国に、すぐに百億ラグを用意できるほどの貯蓄はない。もしあったとしても、国王は、犯人の要求をのむことを良しとはしなかったであろう。

 そんな現状を、クラストは理解していた。そして、自分がミリアを助けに行くと名乗り出た。

「もともとは私の不注意から始まったことでございます。私が責任を取るのが当然かと。供や軍は不要でございます。却って相手を刺激してしまう恐れがありますので。私一人で参ります」

「何を言って…」

「馬鹿もの!」

 大臣をはじめ、多くの者が異を唱えようとするより早く、常の国王からは想像もつかない言葉が広間に響いた。

「クラスト、お主はミリアがいなくなったのは、自分の責任だと申すか」

「はい」

「では、ここで首を刎ねられるくらいの覚悟はできておるのであろうな」

 広間中に、ざわめきが起こる。

「静粛にせんか!」

 国王の言葉に、空気が一瞬にして止まり、皆動けなくなる。それほどの威圧感が、今日の国王にはあった。

「クラスト。お主をミリアの護衛につけたのは、近頃、不穏な動きをしているよからぬ輩から、ミリアを守るためであったな。にもかかわらず、この失態!しかも、自分の責任だと事も無げにぬかしおって」

「………………」

「ミリアは王女であるが、その前に一人の人間だ。それが、無理やり誘拐されたのだぞ。そしてわしも、国王であるが、その前にミリアの父だ。娘を大事に思うのも当然であろう?とはいえ、国王と言う立場上、もしものことがあれば、娘より国民を優先せねばならぬ。しかしできることなら、そのような選択などしたくはない。だからこその護衛だったというに……」

「申し訳…ございません……」

「誰か。よい案はないか?」

 国王の目が大臣達に向けられる。皆、周りの者たちと、よい案はないか話し始めたが、これといったものはなかなかでない様だった。

 そんな中、一人の男がおそれながらと国王の前に進み出た。

「おそれながら、今のところ一番よい案は、クラストが単身乗り込むことかと」

 大臣達から非難の声があがる。

「待て」

 国王の静止の声で、しぶしぶ大臣達は口をつぐむ。

「理由を申してみよ、イノス」

「はい」

 イノスと呼ばれた男は、イノス・カルチェーナ。この国の宰相である。

「クラストの言うように、大勢で救出に向かうのは、徒に相手を刺激するだけかと。しかし、単身乗り込むとなると、そのものが生きて戻ってこられるか…。かなりの腕の者が任務に当たる必要があります。このような理由より、クラストの案が一番であると申しあげた次第でございます」

「しかし、単身というのがどうも不安です。供を何人かつけたほうがよいのでは?」

「下手に供をつけては、統制が取れなくなるだろう。クラストと同程度の腕を持つものならばよいであろうが、果たして何人いることだろうな」

 大臣の精一杯の反対にも、眉一つ動かさず答える。

「ではお前は、クラスとが単身乗り込むほかないと?」

「おそれながら」

「……」

 国王は、無言でイノスを見つめる。その無言の威圧にも、イノスはたじろがなかった。

「お前は、任務が失敗したときの責任を全て負う覚悟はあるか」

「!」

 どよめきの声が上がる。

 クラストも、まさか国王がそのようなことを言い出すとは思ってもみなかった。しかし、次のイノスの言葉は更に皆を驚愕させた。

「あります」

「では、失敗した折は死す覚悟があるのだな」

「そう申し上げました」

もう一度の念押しにもためらいもなく頷く。

「お待ち下さい」

たまらずクラストはイノスの隣に駆け寄る。

「国王様。お待ち下さい。失敗した折の責任は私一人に」

「失敗とは、お前が死ぬということだ。死してなお、責任をとると言うのか」

「それは……」

「もうよい」

 放っておけばいつまでも続きそうな言い争いを国王は止めた。

「クラスト。イノス。そなたらの思いには負けた」

「では」

 国王は頷き、広間に集まった者たちを見渡し、立ち上がって告げた。

「ミリア王女救出の任はクラスト、そなたにまかせる。供は本当に必要ないか」

「ございません」

「わかった。では、クラスト一人に任せるとしよう。皆もそれでよいな。異議のあるものは前へ」

 そう言われて、異議を唱える者はいるはずもなく、話し合いはお開きとなった。

 皆と同じように広間を出ようとしたイノスをクラストは呼び止めた。

「イノス宰相」

「何だクラスト」

「その、ありがとうございました。しかし、何故あそこまで」

「お主を信じているからだ」

「だからと言って、命まで……」

「なに、このような私の命が役立つのなら喜んでお主にかけよう。お主はそのくらいの価値はある」

 そこまで言われてしまっては何も言い返せない。ありがとうございますと言って、その場を去ろうとしたクラストをイノスは呼び止めた。

「必ず、ミリア様を。どうか、必ず」

「はい」

 では、と言ってクラストは今度こそその場を離れた。

 広間を出て自室に戻り、ミリア救出の任務の準備をしようと思うのだが、どうもイノスが気になって頭から離れない。

(確か、直接お会いするのは今日が初めてのはず。私の名前を知っていてもおかしくはないが、それだけだろう。信用など勝ち取りようがない。それなのに…。何かがおかしいように感じるのは、思い過ごしだろうか…)

 イノスの態度は、ひっかかったが、ミリアのほうも時間がない。

 イノスのことはひとまず頭の中から追い出し、ミリア救出のことだけを考える。

 準備ができたところでクラストは王宮を出た。極秘の任務のため、見送りなどはない。しかし、皆の思いに後押しされるようにクラストは指定された現金の引渡し場所へと向かった。

 このとき、午後二時。

 ミリアが誘拐されてから、丸一日が経過していた。  

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